田端義夫 TabataYoshio
ディック・ミネに影響を受けた演歌歌手で、年季の入ったエレキ・ギターを肩に吊るし、胸の前に抱えて歌い続けました。1919年1月1日に三重県松阪市で、男5人、女5人の10人兄弟の9人目として生まれました。本名は田畑義夫です。3歳の時に父を亡くし、貧しい家計を支えるため小学校を退学し、親元を離れて名古屋のパン屋や鉄工所などで住み込みとして働きました。1938年、19歳の時に新聞社の主催する素人歌手コンクールで3位に入賞すると、翌39年に上京してポリドール・レコードに入社し、6月にプロ歌手としてデビューすると「島の船歌」が大ヒットしました。続いて「大利根月夜」、「別れ船」をヒットさせ”バタやん”の愛称で親しまれました。終戦の翌年に「かえり船」をヒットさせましたが、それ以降はヒットに恵まれず不遇の時代を送りましたが、1962年に「島育ち」で復活しました。その後も1975年に「十九の春」をヒットさせるなど第一線で活躍を続け、1989年には勲四等瑞宝章を受賞し、1995年から2003年まで日本歌手協会会長も務めました。東京都西麻布でアルゼンチン料理店『ディ・ノッテ』を経営もしました。歌手として生涯現役を貫きましたが、2013年4月25日に東京都内の病院で肺炎のため死去しました。享年94歳でした。
田端義夫
徳間ジャパンコミュニケーションズ
[収録曲]
Disc 1
徳間ジャパンコミュニケーションズ
[収録曲]
Disc 1
- 〈田端義男コメント〉
- 玄海ブルース
- 江の島エレジー
- ロマンス航路
- 流転
- ズンドコ節
- たより船
- ひょうたんジルバ
- 別れ船
- 旅のつばくろ
- 妻恋道中
- 親子船唄
- 真白き富士の嶺
- 身内船
- 海のジプシー
- ふるさとの燈台
- 雨の屋台
- 浜千鳥
- ダンディ気質
- 波止場ブルース
- お月さん今晩わ
- 親星子星(デュエット:西崎緑)
- 島の船唄
- 玄海の月
- 梅と兵隊
- 潮来夜船
- 旅姿三人男
- 赤い花
- 知るや男の純情を
- 大利根月夜
- からたち日記
- 麦と兵隊
- 木浦(もっぽ)の涙
- 里恋峠
- この道
- 黄色いシャツ
- 出世船
- 波止場気質
- 浅間の鴉
- かよい船
- 奄美小唄
- 君待船
- カスバの女
- 島育ち
- とまり船
- カタカナ忠義
- ねんねん舟唄
- 嘆きのピエロ
- 他人船
- 九段の母
- かへり船
- 流沙の護り
- 出船の唄
- ダンチョネ節
- 肩で風切るマドロスさん
- 月の出船
- 赤とんぼ
田端義夫 - 島の船唄
田端義夫 - 十九の春
田端義夫 - 大利根月夜
田端義夫 - かえり船
田端義夫
[収録曲]
Disc.1
[収録曲]
Disc.1
- 島の船唄
- 男召されて (初CD化)
- 戦場の幼な子 (初CD化)
- 里恋峠
- 月下の歩哨線
- 大利根月夜
- 偲ぶ山唄
- 泣くな姑娘 (初CD化)
- 街道投げ節
- 旅出の唄
- 兄妹
- 金州城 (初CD化)
- 大地に歌ふ (初CD化)
- 初旅ごよみ
- 別れ船
- 船唄人生
- 夕陽は遥か
- 黒龍江の船唄
- 夢のジャンク (初CD化)
- 国境千里 (初CD化)
- 祖国へ一路 (初CD化)
- 梅と兵隊
- 我家の新体制 (初CD化)
- 僕は初年兵 (初CD化)
- 大陸男児 (初CD化)
- 蘭の花咲く満洲で
- 夏草の夢 (初CD化)
- 石狩の春
- 上陸の夜 (初CD化)
- キャンプの一夜 (初CD化)
- 母と兵隊 (初CD化)
- トラジの花 (初CD化)
- 岬のひとゝき (初CD化)
- 波路は遥るか (初CD化)
- 凍る歩哨線 (初CD化)
- 荒鷲初だより (初CD化)
- 民謡傑作集 (一) (初CD化)
- 日本海軍軍歌集 (三) (初CD化)
- シンガポールだより (初CD化)
- 大東亜音頭 (下) (初CD化)
- 氷と艦隊 (初CD化)
- 兵隊は強い (初CD化)
- 南海の小島 (初CD化)
- 出船串本 (初CD化)
- 孤島の雄叫び (初CD化)
- 上陸の夜(歌謡物語) (初CD化) <ボーナス・トラック>
すべてモノラル録音です。