高田渡 Takada Wataru
1960年代後半から活動したフォーク歌手で、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ミシピッピ・ジョン・ハートの強い影響を受けています。1949年1月1日に岐阜県北方町で生まれました。実家は材木商を営み裕福な篤志家でしたが、父親の代で破産したため、父親と共に東京都深川の援護施設で生活を送りました。その後、三鷹市に引越しましたが、父親が他界し、佐賀県鹿島市の親戚に引き取られましたが、すぐに単身で上京し、アルバイトをしながら東京都立市ヶ谷商業高等学校を卒業しました。1960年代後半に東京で無名フォーク歌手の団体「アゴラ」に参加して歌っていました。1968年には第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日に京都・山崎「宝寺」にて開催)に参加し、「自衛隊に入ろう」、「事だよ」を歌って注目されました。60年代末には京都に拠点を移し活動しました。1969年にURCレコードから五つの赤い風船との連結アルバムでデビューしました。1969年に詩集『個人的理由』を自費出版しました。70年代初頭に東京に居を構え、”ぐゎらん堂”を中心に演奏活動し、吉祥寺フォーク界の第一人者的存在となりました。1971年に単独の初アルバム「ごあいさつ」を発売しました。その他のアルバムは、1972年「系図」、1976年「FISHIN' ON SUNDAY」、1976年「バーボンストリート・ブルース」、1983年「ねこのねごと」などがあります。2005年4月3日に、巡業先の北海道白糠町で行ったライヴ公演の終了後に倒れて入院し、4月16日に入院先の北海道釧路市の病院で心不全により死去しました。享年56歳でした。
高田渡
[収録曲]
[収録曲]
- ごあいさつ
- 失業手当
- 年齢・歯車
- 鮪に鰯
- 結婚
- アイスクリーム
- 自転車にのって
- ブルース
- おなじみの短い手紙
- コーヒーブルース
- 値上げ
- 夕焼け
- 銭がなけりゃ
- 日曜日
- しらみの旅
- 生活の柄
- 自転車に乗って <ファンキーヴァージョン> [ボーナストラック]
高田渡 - 自転車に乗って (1971年全日本フォークジャンボリー)
高田渡 - 値上げ
高田渡 - 銭がなけりゃ
高田渡 - 生活の柄
高田渡 - 鉱夫の祈り
高田渡 - 鎮静剤
高田渡 - 私は私よ